Be simple, Be direct..
Keisuke Fukase.
Keisuke Fukase.
Clear Spirituality.Be Simple, Be Direct.
深瀬 啓介 Keisuke Fukase
1972年宮城県仙台市。小さな頃に「自分が見ているものは母が見ているものと同じだろうか」と疑問を持ち、後に色の認知と再現に興味を持つ。
美術系大学ではコンピューターを使った色の再現の研究を行い、33才で色を使った心理カウンセリングの手法『MEカラーセラピー』を開発する。
44才の時、「自分が見ているもの」の話しを公にすることを決意する。人の内面的な輝きを描いた「スピリチュアル・ドリーミング」を始め、2023年で2,500枚を超える。また、夢の中での「ガイド」を通して学んだことを伝える会や、自然の中で癒しの瞑想を行うリトリート・ワークショップも開催している。
水はスピリチュアルな物質です。大いなる神聖さ(スピリット)と私たちの魂-心-体をつなげています。私たちの体もほとんどが水です。
大地を流れ、渇きを癒し、すべての生命を維持する水。天からの水、地からの水、それらが一つとなって全ての命を支えます。
私は白神山地や早池峰霊水や出雲や戸隠や久米島などの天然水を使って絵を描いています。水には土地のオーラ情報が溶け込んでいて、描かれる絵の質が変わります。
色は可視光線という電磁波の刺激を基にして脳内で作られる視覚体験と思われていますが、私たちにとっては感覚や感情を感じさせる信号であったり、社会的なメッセージであったり、無意識と会話する言葉であったりします。
水彩絵の具はアカシアの一種の樹液から採取されていた樹脂で顔料を定着させています。紙はパルプやコットンを使ったものです。
心を落ち着けて大いなるスピリットとつながり、ハートの聖なるゲートを開くと目の前には夢が開かれます。ガイドを通すことで私の手は半自動的に絵を描き始めます。
神秘の水と植物由来の画材を使い、大いなる霊とつながって描く半自動的な絵には、色と形だけではなく、神聖な力もつながっていきます。
人々の魂の輝きを描く「スピリチュアル・ドリーミング」は、HIYORI高山さんのおかげで東京を中心に名古屋、京都、大阪、沖縄、盛岡と広がり、現在は2,500枚を超えました。
聖なる絵画はスターポエッツ・ギャラリーの仁美さんと麻衣さんのおかげで毎年京都にて個展開催をさせていただき、連日多くの素敵な方々とお会いできています。
人は自らの魂の輝きを絵を通して知ることで、本来の自己を思い出すように生き始めます。そこにはその人の魂と大いなるスピリットとの直接的で神聖なつながりが今も残っています。
自らの魂の輝きからビジネスを始めると、それはただお金を儲けることではなくなり、あなたの存在の価値を多くの人に拡大することになります。
人は「愛の拡大」を通して自らの魂の輝きを知り、そこに確かさと幸せを感じるのだと思います。
アートとスピリチュアリティ(ガイドと「癒しの道」)とライフワーク(生活もビジネスも含まれる)とコミュニティー(人々とのつながりや社会平和)は一つにつながっています。
魂と心と体がスピリットと一つにつながっている人は、驕り高ぶることなく、赦しと感謝を大切にし、誠実で明晰に生きます。そこには健康な生命のバランスがあります。
「癒しの道」を選択し続けることで、私たちの視点は、主に個人の分離に向けられる「部分性」から、エコシステムや多様性などが見え始める「全体性」へ、さらに全てが一つであるこの世界を超えた「全一性」へ目覚めていきます。
私の役目は、全ての人の中にあるスピリットの輝きを表現することを通して、人々の「癒しの道」に貢献することです。
「光の人たち」というのは、夢(起きていても見れる夢)の中で会える光っていて形がよく見えない存在のことで、人かどうかは分からないので私は「光の人たち」と呼んでいた。
多くの人は起きている時は夢を見ないようですが、私にとって夢には三種類あって、そのうちの2つ目は眠っていなくても見れる夢です。1つ目は「光の人たち」と話しができる普通の「起きている時でも見れる夢」で、二つ目は「ガイド」とつながった時だけ見れる「起きている時でも見れる夢」で、三つ目は肉体の感覚がなくなっている眠っている時に見る夢です。
これらの説明は下手で、説明に成功したと思えることは今までありませんが、私にとってはそれが普通の状態です。統合失調だとしても、もともとそうであるからいちいち驚くことなく、今でも問題なく生きています。突然、人の声とかが聞こえてきてパニックになることもありません。小さい頃はよく驚いていましたが、今はほとんど無視できています。
幼少の頃から、普通に「光の人たち」はいました。私は、起きながら見る夢や明晰夢の中で「光の人たち」からさまざまな話しを聞いていました。それは学校で教えられていることとは違う時間や空間やこの世界を超えている話しや「ガイド」という力についてでした。
「光の人たち」との交流は中学2年まで続き、3年の頃には離れることを決めました。なぜなら、高校受験に役立つ話しではなかったし、その話しに興味を持つ人もいなかったし、話しても誰も信じないと思ったからです。
「光の人たち」が教えてくれていたのは形而上学的な話しが多く、それは神社やお寺で聞く話しとは違いますし、誰も信じないし、そのようなことを話すのは悪いことだと教えられました。
高校や大学ではたまに交流がありましたが、夜の夢の中だけで、それも挨拶程度でした。30代では「光の人たち」を無視する生き方をしていたので、実はとても辛かったです。心では彼らと自由に関わりたいし、不思議な話しをもっと聞きたかったのですが、その当時の私は「普通」という優秀な人になるので一生懸命だったのです。生きることはとても大変なことです。
40歳になって何もかも手放して自由に生きると決めたことで、やっとこれを話すことができました。このような話しをすると変な人と見られますから、パンデミックの影響かは知りませんが、研修講師の仕事はかなり減りました。それでも、これからは「光の人たち」が教えてくれていたことを受け入れて生きることが私にとって真実であり、気楽であり、世界にも人にも優しくなれる生き方です。
「光の人たち」との話しの中で一番重要なテーマは「スピリットへの目覚め」というものでした。これについては、私が話さなくても人々はいつか知ることになりますし、もともと知っていたことかもしれませんので問題はありませんが、あえて私から聞きたいという人がいるのを知ってから、スピリチュアル・ドリーミングの絵を描いている時や、「ガイドの授業」講座やリトリートで話しています。
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