世界に一枚・あなただけの聖なる絵画

スピリチュアル・ドリーミング・アート スピリチュアル・ドリーミング(SD)はあなたの魂の神聖な“場”を描いた絵です。この絵は癒しの力「ガイド」を通して描かれていますので、あなたの魂の絵巻であり人生のバランスであり、同時に霊的なエネルギーとのつながりでもあります。

SDを見ることで、「愛と命と光」のエネルギーがあなたと共鳴するように働き出します。癒しを受け取るにつれて人生の細かな部分に変化が起き始めるでしょう。

 例えば、絵の中に描かれている象徴の意味が分かる偶然の一致を体験したり、日常に平和な心でいることが多くなったり、古い習慣から解放されるような新しいステップが始まったり、素敵な人々と出会ったり、効果的な解決策が見つかったり、世の中の謎に気づいたり、本当にやりたいことが見つかったり、仕事が成功の波に乗ってきたり…

何が得られるか、どんな変化があるかは分かりませんが、ガイドと共に絵と向き合うことを通して本来の「自己」としての自然な在り方に気づき始めるでしょう。

↓ご予約は深瀬個人ではなく、こちらのオーガナイザーにてお願いいたします。
http://hiyori-yamato.com

SD個人セッションについて

自分を超えた大いなる何か…「ガイド」とつながって絵は半自動的に描かれます。ガイドとつながるのには特に儀式など必要なく、あなたが目の前に現れるほんの少し前から始まります。

80分ぐらいですが、90分近く描いていることもあります。途中お手洗いなどに行かれても大丈夫です。その場合は絵は止まっています。 

集中しているように見えても、絵描いている間は人生相談からスピリチュアルな疑問などご自由にご質問ください!

録音も可能ですが、何もご質問をいただいていないとお話しすることはないかもしれませんのでご注意ください。 

絵には意味はあるのでようが、その意味を真に受け取ることができるのはご本人しかいません。絵には情報だけではなくエネルギーもありますので、意味は分からなくても“感じる…”という人もいらっしゃいます。

絵の読み解きにはお時間がございませんが、描いている間にご自身のお話しをされていると私が描いている絵の意味が分かることもございます。

最後にタイトルを絵に書きます。絵が完成に近づくと、お客様のハートの前の空間にアルファベットで絵のタイトルが輝き出します。殆どがイタリア語かラテン語ですので、私はその文字をスマートフォンの辞書を使って調べます。

描き終えた絵はお客様に直接触っていただきます。お客様に触っていただくことで絵のスイッチが入るようです。一瞬で色が変わったというお話しをいただくこともございますが、私には絵のオーラがパッと明るく広がるように見えます。最後に絵は額装してセッションは終了となります。

絵はできるだけ日常的に見てください。スマートフォンの待ち受け画面にされている方もいらっしゃいます。見ているうちに意味が分かってくることもありますし、分からなくても日常に楽しい変化が現れてくることがあります。 その場で作ったお話しでも良いですので、お友達に絵の説明をしてみるとご自身で隠された意味に気づかれることが多いようです。ドリーミング・セラピー・カードを使って絵についてリーディングされるのも良いヒントとなります。

SDの時に何を話したらいいのか分からない人のためのヒント

SDの時間は癒しの時間ですから何も離さなくていいのですが、私も絵を読み解くためのお手伝いができるかもしれませんので、話したい人のためにヒントを書いておきます。

ガイドは本当の本当のことを思い出させてくれる力ですから、今まで信じて来た観念を強化するのには役に立ちませんが、勇気を持って真実に目を向ける時には頼りになります。

「大切なのは、自分のしたいことがなにかを、分かっていることだよ。」-スナフキン(トーヴェ・ヤンソン)
(1)あなたは自分がやりたいことが何かを分かっていますか? …実際にどんなことをやっていますか?

「時間は限られているのだから、他人の人生を生きて自分の時間を無駄に過ごしてはいけない。」-スティーブ・ジョブス
(2)あなたは自分の人生を生きていますか? …死ぬ時に後悔はありませんか?

「成功者とは、諦めることを知らない夢追い人のこと。」-ネルソン・マンデラ
(3)あなたの夢は何ですか? …それを言うことは出来ますか?

「心があなたに語りかけることだけをしなさい。」-ダイアナ妃
(4)あなたは心に従って生きていますか? …それは本当の本当ですか?

「チャンスは、苦境の最中にある。」-アルベルト・アインシュタイン
(5)あなたの仕事や人間関係の悩みは何ですか? …悩みを認識できていますか?

「人間は神の失敗作に過ぎないのか、それとも神こそ人間の失敗作にすぎないのか。」-フリードリヒ・ニーチェ
(6)大いなる何かとあなたとの関係はどうですか?…スピリチュアルな疑問はありますか?

ガイド 〜 本来の「自己」へと導く力

  私たちには平和へと導いてくれる聖なる力がついています。その力はサムシング・グレートや聖霊や般若(パンニャー)など世界中さまざまな名で呼ばれていますが、私は単に「導くの力」という意味で「ガイド」と呼んでいます。

よく「誰のガイドさんですか?」と質問を受けますが、ガイドは誰かという存在ではないですし、分離もしていないので「誰の」という概念はありません。それは分離した無数の魂を全一である霊へと引き戻す癒しの力です。

 ガイドを例えるなら地球の重力のようなものです。見えなくても重力は私たちが地球から離れないように常に働いています。重力に逆らってもいいのですが、その在り方は苦しいです。地球を忘れるくらい「自分」の夢の中に囚われてしまわないように地球の重力=「源のガイド」があるのです。そんなガイドの癒しを受け入れるなら、生きることが楽になりますし、夢から目覚めることも出来るのです。

 ガイドには声も姿もありませんが、SDの中では太陽や月のような光や聖なる動物や優しいお母さんや威厳がある賢者のような「愛と命と光」の象徴で表現されることがあります。それはガイドとあなたの魂のつながりのような表現です。ある時は老婆の姿で描かれた時もありました。なんでも知っている頼れる存在ですが、そんな姿が怖いと思うのであれば、聖なる力に「自分」の中の恐れを映し出したにすぎないということです。人は誰もがガイドに守られ、本来の「自己」へと導かれ、エネルギーを与えられ、愛されているのです。

 何が描かれているのかを知らなくてもSDはガイドと結びついていますので、SDを思い出すだけでもガイドとつながって人生の癒しは進みますので問題ありません。ガイドはそれくらい自然な力なのです。

自然な力を嫌がるのは何でも「自分」の力でやりたい「自我(エゴ)」という考えです。「自分」とはエゴの幻想であって、あなたは本来の「自己」なので、幻想に執着すると苦しみが増すことになります。

SDは、あなたが本来の「自己」へと戻るためにガイドが与えてくれた絵です。あなたのSDはあなたとガイドの聖なる関係であって通常の著作物とは違います。どのような使い方をされても、どこに飾ろうとも複製を作るのもあなたの自由です。

SDの後の不思議な体験談

 SDを見るということは、そこにあなたの魂が自らの特性を再認識するということになります。ドリーミングは「情報とエネルギーと意識」ですから、「意識」を向け続ければエネルギーも強くなり、視点が変われば情報も受け取りやすくなってきます。

 SDはあなたの魂の神聖な場ですから、強化されると特性を生かすことができるような出会いがあったり、仕事では幸運に恵まれ始めたりといったシンクロニシティが多くなるようですが、ガイドによるとこれは「目覚めの道を歩み始めたことによる変化」のようです。本人に自覚があってもなくても、SDを見るということは、本来の自己である霊へ目覚めていくことになるのでしょう。

 変化が体験できなくても、スピリチュアルに興味が出て来たり、自然が多い場所に行きたくなったり、自分が信じて来たことは嘘なのではないかと疑い出したり、人生の本質的なテーマに気づき始める人が多くいます。

  そのほか、SDを描いた次の日の朝に片思いで長く会っていなかった相手から突然連絡があったとか、占い師に聞いた話しと一致していて謎だったことが分かったとか、若い頃に買った絵にそっくりだったとか、不思議な光を見るようになったとか、SDの色が濃くなったり薄くなったりと変化したとか、タイトル文字が消えたとか、描かれたシンボルが現実で様々な所に現れて来たとか、仕事の方向性が明確になったとか、運がよくなったなど、不思議な体験の報告を頂いています。

 SDの情報は頭では理解できなくても「心で感じる」という体験をしている人も多くいます。それは、ガイドが頭の中だけの理解よりも、体験を通して直に伝えるからです。まだまだ解らないことが多いSDです。SDの奥には神秘的な世界がつながっています。インナービジョンが使えるなら、夢の中でSDの世界に入ることも出来ます。その世界はともて広大で一言で表現することは出来ませんが、とても美しい世界です。

あなたには何が起きるのでしょうか、どのような変化があるのでしょうか、毎日SDを見ながらワクワクして下さい。

SDに描かれているもの

SDに描かれているのは「大いなる力(ガイド)とあなたの関係」と「魂の特性」とです。

 「ガイド」は特別な何かの存在ではなく、あなたを豊かさや健康や成功をもたらし、スピリチュアルな目覚めへ導く「癒しの力」のことです。それは自然治癒力とも呼ばれています。

特性はあなたのスピリチュアルな在り方(姿勢)のことです。あなたの魂と大いなる霊はつながっていて、魂にはそのバランスを取る力「特性」が備わっているのです。人生の川を流れる舟の上では、姿勢が悪いと病気や不幸に落ちてしまいますので、特性が役に立つのです。でも、多くの人が自らの特性を気にかけていません。それが人生におけるさまざまな苦しみにつながっています。

特性は、ガイドと共に人生を生きている時に発揮されます。ガイドと共に生きていない時には役割と義務と被害者の人生を生きていることになります。それは苦しいことなのですが、この自覚がない人は多いようです。

人は癒しの道を歩みながら自らの特性が発揮されていきます。才能は特性から次々と発現してきます。特性は一生変わることはありませんが、SDはその時のあなたに合わせて伝えられます。

0歳の子では大人のような深い情報が描かれますが、3歳くらいになるととたんにシンプルな絵となり、12歳ぐらいで何かが決定されたような絵として描かれ、24歳以降からは物語の一場面のような絵になってくるようです。

スピリチュアル・ドリーミング 深瀬 啓介

この世の謎「ドリーミング(Dreaming)」

 『ドリーミング(Dreaming)』とはオーストラリア先住民のアボリジニの哲学から来た言葉です。それは世界の始まり(ドリームタイム)から存在する精霊が自然界のすべてを創造して、生きるもの全ての祖先となったというアボリジニの神話に基づいています。

精霊とは万物に宿る魂のことです。私はそのアボリジニの哲学に「ガイドの授業」と共通するものを感じてこの名称を使っています。「ガイドの授業」は夜中の夢の中で始まります。

ガイドは誰か特別な存在ではないので言葉で説明することは難しいのですが、一瞬で智慧を思い出させる霊の力のことです。

「ガイドの授業」では、この世のあらゆるものは「情報とエネルギーと意識(知覚や想念や記憶)」によって作られていると学びました。「情報とエネルギーと意識」は一体であって、それを私はドリーミングと呼んでいます。

アボリジニのドリーミングでは、あらゆる生命や物や場所には「記憶と力と精霊の心」が宿っていると見るようで、ガイドの伝える「情報とエネルギーと意識」に共通する概念です。

SDは何枚か描くと変わるのか?


人生において特性は変わりませんが、その時によってエネルギーや情報は変わります。それは絵を見たことでその人の意識が変わったからのようで、特性の現れ方や活かし方が変わったことによります。あることに気づくと、それに気づかなかった前と後では人の意識は変わるものです。

 毎日見る、日々思い出すことにより、自らの在り方が整えられて「愛と命と光」が蘇ります。そうなると、癒しのプロセスが始まって次のステージがやって来ます。こうして、次のSDが描かれた時には絵が変わるようです。私には、多くの絵は三枚で一つの“物語”として表現されているように見えますが、三枚以降も物語が続いている人もいました。

 絵のつながりは人それぞれで、横や縦につながったり、一つのモチーフが変化していったり、もっと奥の場面になったりと、物語が進んで行くようにも見えます。また、物語としてのつながりは見られなくても、その人のさまざまな才能やその時の状況などが描かれることもあります。

ハートに光る絵のタイトル

 絵が終わる頃には相手の胸の前あたりに光るアルファベットが現れます。それが絵のタイトルですが、ほとんどがイタリア後かラテン語です。その理由は私にあるようですが詳しくは分かりません。光るタイトルは目を閉じてもボヤッと見えるため、どうやら私のインナービジョン(夢のようなもの)に現れているようです。アルファベットは絵が終わりに近くなるほどハッキリと見えて来ます。

「場所」にも聖なるビジョンがある

 人だけではなく「場所」にも聖なるビジョンはあります。ある時、SDのイベントでお世話になっている店内の聖なるビジョンが見えていることに気がつきました。

 人のSDにはその人の魂の情報や霊的な特性が描かれるようですが、場所のSDにも霊的な特性が描かれるようです。場所の特性とは、そこにいる人との霊的な関わりのことです。場所には、そこにいる人の「想い」によってドリーミングが記録されますが、その「想い」がガイドとつながった神聖なものであった場合に聖なるビジョンとなるようです。

 その場所に聖なるビジョンがあるということは、そこにいる人が自らの特性を生きているという証でもあります。何度かSDを描いている場所は神聖さが強くなって来るようで、そこに聖なるビジョンが現れてきます。

「仕事」にも聖なるビジョンがある

 人だけではなく「場所」にも聖なるビジョンはあります。ある時、SDのイベントでお世話になっている店内の聖なるビジョンが見えていることに気がつきました。

 人のSDにはその人の魂の情報や霊的な特性が描かれるようですが、場所のSDにも霊的な特性が描かれるようです。場所の特性とは、そこにいる人との霊的な関わりのことです。場所には、そこにいる人の「想い」によってドリーミングが記録されますが、その「想い」がガイドとつながった神聖なものであった場合に聖なるビジョンとなるようです。

 その場所に聖なるビジョンがあるということは、そこにいる人が自らの特性を生きているという証でもあります。何度かSDを描いている場所は神聖さが強くなって来るようで、そこに聖なるビジョンが現れてきます。

「愛と命と光」のプレゼント

 ガイドはSDをあなたの平和と健康と幸せのために送ります。SDを読み解くのも楽しいことですが、SDを通してガイドが送り続ける「愛と命と光」をただ受け取っていくのも素敵なことです。難しく考える前に大いなる導きを信頼することが大切です。SDは神聖なあなたの記録ですから、絵を思い出そうとするということは、同時に神聖な「自己」を思い出そうとすることでもあります。

 SDで何が得られるか、どんな変化があるかは人それぞれですが、あなたの癒しの道において必要なものが与えられていくことを信頼して下さい。それはSDを信頼するというよりも、ガイドを信頼することですし、神聖な「自己」を信頼することです。

 どのような人であってももとから常にガイドとつながっているのですが、そこにどう気づくか、どう感じ取るのか、というのには視点の変化が必要かもしれません。

 怯えた視点で世界を捉えれば、あなたは恐ろしい世界を体験するでしょう。そして、被害者としての自分の正しさを何度も主張して防衛しなければならないと考えてしまうかもしれません。

 「愛」の視点で世界を捉えれば、あなたは平和な心を思い出すでしょう。その平和の中であなたは、本当にやりたいことや自然な在り方に気づいて「愛の拡大」を始めてしまうでしょう。

 いつか、あなたはSDとのつながりによって視点が変化したことに気づくかもしれません。否定的に捉えてしまう考え方から肯定的な捉え方へ、そして否定でも肯定でもないありのままの捉え方に変わってくるでしょう。やがて本来の「自己」という自由な在り方を思い出していきます。

真っ黒い絵は描かれるか?

 ガイドは「愛と命と光」を描くので、真っ黒い(何か悪いことが起きるような)不吉な絵を描くことは決してありません。もし、絵のモチーフに恐ろしい何かを見ているのなら、それはあなたの影(Shadow)という「抑圧された思い」です。人は、ガイドの顔にも自らの影を貼り付けて、恐れを抱き批難します。そうやって自らの中にある“真っ黒”を他人に貼り付けて、「自分にはない、自分ではない」と言い訳します。ここでハッキリと言っておきますが、“真っ黒”という概念を持つことができるのは思考の中だけです。

 目を閉じても“真っ黒”を体験することはできません。「目を閉じたら真っ黒だ」という人は自分の観察力を疑った方がいいでしょう。アリストテレスの「自然は真空を嫌う」と同じで、意識は“真っ黒”を嫌います。目を閉じても白いモヤや光の粒々など見えているでしょうし、時間が経てば夢の中に入ります。例え目が見えなくなっても“真っ黒”というのを体験することはできないでしょう。死んだら「自分の肉体を上から見ている」ようですから、死んでも“真っ黒”を体験できないようです。

 ガイドはあなたの影を描くことは決してありません、それはガイドには影を見ることは出来ないからです。なぜなら、あなたは影ではなく、「愛と命と光」だからです。絵を影として恐れるなら、それは紛れもない混乱したあなたの視点です。混乱していないのであれば、あなたも自らの「愛と命と光」を“みる”でしょう。

「ガイドの授業」 〜 “もとのかみにもどす”

 「ガイドの授業」の共通するテーマは本来の「自己」についてですが、内容は「愛と命と光」の実相のことや、エゴという混乱のことや、この世界を構成しているドリーミングのことや、意識の使い方などさまざまです。

「ガイドの授業」の一部はこんな内容です↓

 この世界は自分の体も含めて微細な「エネルギー」できています。「エネルギー」は同時に「情報」であり「意識」によって支えられています。「情報とエネルギーと意識」は一つでこのことを「ドリーミング」といいます。全てのドリーミングはもともと同じであって、純粋なドリーミングの「情報」は「愛」、「エネルギー」は「命」、「意識」は「光」です。純粋なドリーミングは、直接見たり聞いたり触ったり感じたりすることができないため、「無い」ものとして扱われてしまいがちですが、「無い」のではなく「完全に一体なので無いように思える」のです。あえて表現するなら「有り過ぎて無いようにみえる」という感じでしょう。

 釈迦のいう「無」というのは、見たり聞いたり感じたりする“知覚される”全ては、本当は意識の中で見られる“夢”であるため「無い」のであって、「何も無いから悲しいよね」という意味ではありません。何もなくて悲しいと感じるのはその人の観念であって、悪いものではありませんが、“実相”ではありません。

 実相とは「真の現実」のような意味ですが、それをこの肉体で感じ取ることは不可能です。同時にこの脳で理解することも不可能です。肉体は肉体で感じ取れる範囲でしか感じ取れません。脳は脳で感じ取れる範囲でしか理解できません。実相は感じ取れる範囲を超えています。しかし、私たちは実相をすでに知っています。この世界では忘れているけれど、霊としては覚えています。なぜなら、本来の「自己」は肉体や脳を超えた実相に在るからです。

実相を正確に細かく表現しようとすると、複雑で難しくなるように思えますが、実はとってもとってもシンプルです。シンプルすぎて説明できないのです。「愛と命と光」しか無いのです。

 「愛と命と光」は真っ白い紙のようなもので、私たちはここに意識というペンを使って様々なかたちを描きます。これがドリーミングです。こうして描かれたドリーミングはこの世界のあらゆるものとして体験(知覚)されることになります。知覚されたときに人は「有る」と思い、知覚されないなら「無い」と思います。そのため、真っ白な紙そのものである「愛と命と光」は“知覚”されないのです。物理学でも数学でも人の知能が関わっているために同じです。「愛と命と光」は人知を超えているからです。

 ガイドは、さまざまなドリーミングを「愛と命と光」に戻す働きのことです。私たちが描いた恐ろしい落書きをガイドが消してもとの真っ白い紙に戻すので、私たちは「愛と命と光」を思い出すことができるのです。

「もとの紙に戻す」というのは「もとの神に戻す」ということです。戻ったのは私たちの意識であって、もとから何も離れてはいないのです…。

水と意識

水は私たちの意識との相性がとても良く、ドリーミングを伝達、記録、保持するのに最適な媒体です。また、水はガイドとのつながりをスムーズで強くしてくれます。

SDのはじまり

   私が小さい頃、他人が見ている景色と自分が見ている景色の違いについて疑問を持ちました。母は色の名前を教えてくれましたが、それは何を意味しているのかは良く分かりませんでした。なぜなら輪郭の中だけではなく空間にも色は見えたからです。それだけではなく、輪郭がはっきりしない存在もいます。そして見えてしまうものには注意が向けられてしまいます。なので、私はよく「落ち着きがない」や「人の話しを聞かない」と叱られました。

特に輪郭のはっきりしない存在については話すと怖がられるため、このことについては決して話題にしてはいけないことなのだと思いました。このような奇妙な子は多くの人に受け入れてもらえませんでしたので学校でも孤立するようになりました。なので私は、社会に適応するためにはこの秘密を隠す必要があると考えました。

 大学は美術系に進んで色の認知について学ぼうとしましたが、デッサンの試験はとても難しいものでした。「見たままを描け」と言われましたが、焦点によって見え方は変わるので困難でした。本当に正直に見えたものを描くと「心象表現ではない」と注意されました。そこで私は輪郭だけを見る訓練をしました。

  なんとか大学に入ってからはコンピュータを使った色彩表現について学び、そのおかげで卒業後はデザイン講師の職に就くことができました。講師を辞めてからもしばらくデザインの仕事をしていましたが、どうしても広告デザインは私の仕事ではないと感じ、それまでの色彩心理の研究を活かしてカラーセラピーを開発しました。このカラーセラピーの開発にも秘密はあったのですが、そのことを隠したまま堅く真面目な心理療法の一つとして教えていました。

講師の仕事もデザインの仕事も人と会うことは多く、秘密の知覚についてはいつも悩まされイライラも多く感じていました。そんなある日、とうとう秘密の知覚について嘘をつき続けるのに限界が来ました。そこで、怪しい人だと思われて仕事の信頼も失うかもしれないけれど本当のことを打ち明けると決めたのです。しかし多くの人から受け入れてもらえ、逆に興味を持ってくれる人たちとも出会えました。

 輪郭のない存在の中には何か嫌な感じがするのもいるようですが、幼い頃から側にいたのはとても美しい光の存在でした。光の存在は自己紹介などしませんが、私はガイドと呼んでいます。ガイドは学校の勉強を教えてくれたりはしませんが、世界と意識についてのとても重要なことを教えてくれます。以前は役に立たないガイドの話しなど聞く耳を持たなかったのですが、今ごろになってその重要さを知って受け取り始めました。

  ガイドからまず教えられたことはドリーミングへのアクセスや情報の受け取り方でした。それから、この世界を超えた“場”のこと、そして本来の自己への目覚めについて教えられました。またガイドからは、これらのことを思い出し始めた人たちが世界中に多くいるとも教えられました。個人的なことから生命全体へ意識を向けることで、ますます思い出されるようです。

 物事の捉え方というのは焦点によって範囲が限定されることがあり、本来はそのレベルが自然に上がるように導かれるようですが、思い込みの影響が強いと停滞するようです。ここに思い出し始めた人たちの効果があるということです。学びは次の段階に来たようで、それがドリーミングへのアクセスでした。中心的なドリーミングというのは上書きされていない純粋なドリーミングとのつながりが強く、これにアクセスすることで自動的にマインドが浄化されて学びが深まるようです。

  自分の中心的なドリーミングにアクセスしてもいいのですが、他者の中心的なドリーミングにアクセスしてもよく、他者へのアクセスはそこにある情報が私にもコピーされるようです。様々な人のドリーミングにアクセスを続けていく内に多くの情報が統合されていきました。これによりガイドの教えがより深く学べただけではなく、宇宙全体に広がるドリーミングのつながりも強く感じられるようになっていきました。

  「ガイドを通して愛と命と光を描き、相手と共に目覚めの道を歩む」私はガイドに従ってその力と声を受け取り、それを共有します。こうしてSDははじまりました。

 よく「オーラが見えるのですか?」や「それは切り替えられるのですか?」と聞かれることがあります。私が見ている色の光は、多くの文献に記されているオーラというのにとても似ていますので、たぶんオーラを見ているのだと思います。チャクラと呼ばれているエネルギーレベルの変換器のようなものも確かに見えます。しかし、これらを切り替えて「全く見えない」という感じにはできません。世界はどう見ても光で出来ていて、物質の中にもその輪郭線を超えた空間にも流れる色光の帯や線があります。物質が固いかどうかは私の体との関係であって、見ているだけなら物質か空間かという違いは明確ではありません。

“視覚”というのは大きなスクリーンに映し出された光の絵です。そして、焦点を変えると細かな色光の別の層が見えてきます。焦点を変えてどんどん深い層を見て行くと、もう現実なのか夢かが分からなくなります。身体感覚が薄れていき、やがて私と光との区別はつかなります。この状態は寝るにはちょうどいいのですが、急に動くことはできないのが厄介です。

目を閉じてもスクリーンは見えていてドリーミング(オーラ)は映っていますが、肉眼で見るような物質的な世界は見えません。目の前の大きなスクリーンの周りには小さなスクリーンが複数あり、一つ一つの映像は違いますし、流れている時間が違うものもあります。スクリーンと“私”との距離は感じられませんが、スクリーンとスクリーンの間には暗い境界があります。

このスクリーンのことを私は「インナー・ビジョン」と呼んでいます。スピリチュアル・ドリーミングを描いている時に見える映像は「インナー・ビジョン」とは違う感じで、色味も雰囲気も違います。ガイドによって送られてくるからかもしれません。こちらは「スピリチュアル・ビジョン」と呼んでいます。夜の夢の中でのガイドの授業も、映像が「スピリチュアル・ビジョン」に切り替わるのでガイドの授業だと分かります。

ちなみに「スピリチュアル・ビジョン」を見ている時は、ガイドとのつながりが深くて霊的に明晰なマインドとなっているため、幻想や物語にハマることはありません。ここに「インナー・ビジョン」を見ているか「スピリチュアル・ビジョン」を見ているかの明確な違いがあります。「スピリチュアル・ビジョン」であるなら「神の名をみだりに唱えてはならない」の真の意味が分かります。