スピリチュアル・ドリーミング[SD]

オーラ エネルギー アート あなたの神聖な情報をガイドが描きます

目覚めを促進し人生に変革をもたらすエネルギー アート
絵はあなたのスピリチュアルなシンボルです
あなたに何が起きるでしょうか? あなたは何を知るのでしょうか?

ガイドを通して描かれる奇跡のアート「スピリチュアル・ドリーミング」個人セッションです。

対面でのご予約は各地のオーガナイザーにご連絡ください。

[仙台] AURA-SOMA SALON AQUA
https://ameblo.jp/aura-somasalonaqua/

[東京] HIYORI
http://hiyori-yamato.com

[京都] 統合意識研究所
https://shotomita.com

[Skype]ご予約が可能な日がございましたら、スカイプにてオンラインでも受けられます。
Skypeセッションのご予約はこちら

世界に一枚・あなただけの聖なるアート

スピリチュアル・ドリーミング[SD]は、あなたの中にある神聖な“場”を記録した絵です。

オーラ エネルギー アート ここにはあなたの特性、神聖なエネルギーが表現されています。世界に一枚だけの霊的なアートを通して、聖なる「ガイド」からのサポートを身近に感じて生きてみませんか…

 絵の中にある色、人物、生き物、道具、文字、線や図形など様々なもの全てに意味があるようですが、それを知るのはあなたの「ガイド( Holy Spirit)」です。私は読み解きのお手伝いをいたしますが、描かれた後でも明らかになって行くでしょう。真に読み解くことができるのは、その人生を歩んでいるあなた自身です。

幸せと健康と恋愛のラッキーアートとして
成功のためのパワー アートとして
真実の人生を生きるためのエンパワーメントとして
目覚めのためのゲートとして

ガイドの絵にはあなたの「愛と命と光」が生きている

  SDはあなたの中にある神聖な「愛と命と光」を大いなる「ガイド」が記録した絵です。あなたが絵を“見る”ことで、神聖なエネルギーがあなたと共鳴するように働きます。そして人生の細かな部分に変化が起き始めるでしょう。

 たとえば、絵の中に描かれているシンボルやストーリーについての意味を何かのきっかけで知ったり、何かの偶然の一致を体験したり、日常に平和な心でいることが多くなったり、古い習慣から解放されるような新しいステップが始まったり、素敵な人々と出会ったり、効果的な解決策が見つかったり、世界の謎に気づいたり、本当にやりたいことが見つかったり、仕事が成功の波に乗ってきたり…

何が得られるか、どんな変化があるかは人それぞれですが、あなたは本来の「自己」としての自然な在り方に気づいて「愛の拡大」が始まるでしょう。

SDのセッション

 

自分を超えた大いなる何か…「ガイド」とつながって絵は半自動的に描かれます。ガイドとつながるのには特に儀式など必要なく、あなたが目の前に現れるほんの少し前から始まります。

集中しているように見えても、お気軽にお話し下さって大丈夫です。お客様とお会いしてすぐに夢(映像)が見え始めます。

特に何かをお話ししていただくことはございません。でも、ご自身のお仕事や趣味などのお話しをされると、私が絵の意味に気づくことがありますので読み解きにご協力しやすくなります。

絵の“意味”はご本人が分かるものが多いようです。絵は「ガイド」によって描かれますので、私は何が描かれているのかはよく分かりません。

絵を描いている最中は私が寝てしまうことがあります。それでも、右手は動いて絵を描き続けていますのでご安心ください。

最後にタイトルを絵に書きます。絵が完成に近づくと、お客様のハートの前の空間にアルファベットで絵のタイトルが輝き出します。私はその文字をスマートフォンの辞書を使って調べます。タイトルは絵を読み解くヒントになります。

描き終えた絵はお客様に直接触っていただきます。お客様に触っていただくことで絵のスイッチが入るようです。一瞬で色が変わったというお話しをいただくこともございますが、私には絵のオーラがパッと明るく広がるように見えます。最後に絵は額装してセッションは終了となります。

絵はできるだけ日常的に見てください。スマートフォンの待ち受け画面にされている方もいらっしゃいます。見ているうちに意味が分かってくることもありますし、分からなくても日常に楽しい変化が現れてくることがあります。 その場で作ったお話しでも良いですので、お友達に絵の説明をしてみるとご自身で隠された意味に気づかれることが多いようです。ドリーミング・セラピー・カードを使って絵についてリーディングされるのも良いヒントとなります。

ガイド(Sacred Guide)について

    私たちには平和へと導いてくれる聖なる力がついています。その力はサムシング・グレートやホーリー・スピリットなどさまざまな名で呼ばれていますが、私は単に「目覚めへと導く“源”の力」という意味で「ガイド」と呼んでいます。

 よく「誰のガイドさんですか?」と質問を受けますが、ガイドに“誰の”という概念はありません。ガイドは「自分」を超えた大いなる何かで、特別何かの存在の概念はありません。私は、「神」という表現は誤解が多いのでしていませんが、ガイドは「神」というよりも、「神の力」と表現した方が近いかもしれません。

 ガイドを例えるなら地球の重力のようなものです。見えなくても誰もが重力の作用を受けているという感じです。重力は私たちが地球から離れないように常に働いています。ガイドも私たちが「源」から離れないように常に働いています。重力に逆らってもいいですがエネルギーが必要ですから疲れます。それなら重力を利用して生きる方が楽です。ガイドと共に生きるなら、とても楽になります。

 ガイドには姿も声も名前もありませんが、絵の中では太陽や月のような丸い光や聖なる動物や優しいお母さんや威厳がある賢者のようなイメージで描かれることがあります。それらはガイドそのものではなく「ガイドのメッセージ」の表れです。ある時は老婆の占い師の姿で描かれた時もありました。そんな姿が怖いと思うのであれば、それは聖なる力に「自分」の中の恐れを映し出したにすぎないということです。

 人によってガイドのメッセージに違いがあっても、共通して伝えているのは「愛と命と光」です。人は誰もが大いなる力に守られ、愛され、エネルギーを与えられ、輝いているのです。

 何が描かれているのかを知らなくてもSDはガイドと結びついていますので、絵を思い出すだけでもガイドとつながって人生の癒しは進みますので問題ありません。

 あなたのSDはあなたのもので、通常の絵の著作物とは違います。どのような使い方をされても、どこに飾ろうとも複製を作るのもあなたの自由です。

 SDはガイドが与えてくれるあなたの魂の情報と聖なるエネルギーなのです。

SDの後の不思議な体験談

「絵を見る」ということは、そこに「意識が向けられる」ということです。ドリーミングは「情報とエネルギーと意識」ですから、「意識」を向け続ければエネルギーも強くなり、情報も受け取りやすくなってきます。

 SDはあなたの神聖な魂の特性ですから、それが強化されると、人との出会いが変わったり、仕事のやり方が変わったり、仕事そのものが変わったり、シンクロニシティやデジャブが多くなるようですが、ガイドによるとこれは「目覚めの道を歩み始めたことによる意識の変化」のようです。本人に自覚があってもなくても、「SDを見る」ということは、「本来の自己への目覚めの道を歩む」ということになります。

 変化が体験できなくても人生のテーマに気づき始める人は多く、なぜスピリチュアルに興味が出て来たのか、なぜ自然が多い場所にいきたくなるのか、なぜさまざまな修行やアチューメントを受けたりパワースポットにいったけど満たされなかったのかなどに気づき始めるようです。

   その他、片思いで長く会っていなかった相手からSDを描いた次の日の朝に突然連絡があった。占い師に聞いた話しと一致していて謎だったことが分かった。若い頃に買った絵にそっくりだった。夜中にボヤッと絵が光っていて、触ろうとしたらバチッとした。色が濃くなったり色が薄くなったりと絵が変化していく。絵のタイトル文字が消えた。絵で描かれたシンボルが現実で様々な所に現れて、それに従うととても運がよくなった…など、不思議な体験の報告を頂いています。

 SDの情報は頭では理解できなくても「分かる」という体験をしている人も多くいます。それは、ガイドが頭の中だけの理解よりも、体験を通して直に伝えるからです。

まだまだ解らないことが多いSDです。SDの奥には神秘的な世界がつながっています。“夢”のなかでその世界に入ることも出来ます。その世界はともて広大で一言で表現することは出来ませんが、すばらしい世界です。あなたには何が起きるのでしょうか、どのような変化があるのでしょうか、楽しんで下さい。

SDの作用:ガイドによるドリーミングの調整

  純粋なドリーミングは本来の「自己」への目覚め以外に病気の治療にも使えるようで、これを使うにはガイドとのつながりが大切です。

どのような人でももともとガイドとつながっているのですが、そこをどう感じ取るのか…というのにはコツがあるのかもしれません。つまり、どれだけ「観念を解いて、心を開いて、ガイドを受け入れるか」が課題です。

ガイドとつながる(受け入れる)方法はいろいろありますが、SDを見るというのも効果的です。ただSDを見る・思い出すだけでもいいのですが、そこにあるエネルギーを感じようとするとより太くつながることができます。ここに感情や感覚の役割があります。

SDから伝わる感情や感覚は体の中、またはあなたの周りのどこにあるのかを感じてみます。そこに神聖な光があるとイメージし、その光を身体中に広げていきます。

さらにあなたの周りの空間にどんどん広げて行き、やがて光に包まれていきます。光の中でガイドに癒しを願い、後は神聖な感じを保つことのみに意識を集中させます。

光が不安な部分や痛みがある部分に働くと、その部分に微妙な変化が現れます。これがガイドによるドリーミングの調整です。

ガイドによるドリーミングの調整は、肉体だけではなく感情や心理や魂にも起こります。調整は離れている人であっても問題ないだけではなく、時間さえも関係ないようです。

私たちが知っている時間や空間は私たちの勝手な概念であって、実際は私たちは時間も空間も超えているようです。純粋なドリーミングにアクセスし続ければ、既存の概念を超えて思い出します。

ただし、ガイドは病気の治療を行う存在というよりも、本来の「自己」という状態へ導く力ですので、健康というのは本来の「自己」へ戻る途中の状態でしかないということなのでしょう。

スピリチュアル・ドリーミング 深瀬 啓介

この世の謎「ドリーミング(Dreaming)」

  『ドリーミング(Dreaming)』はもともとはオーストラリア先住民のアボリジニの哲学から来た言葉です。それは“夢”とは異なり、創世紀(ドリームタイム)から存在する“精霊”が自然界のすべてを創造して、生きるもの全ての祖先となったとアボリジニは信じてきました。“精霊”とは万物に宿る“霊”ですが、万物を創造した意識でもあるのです。

私はそのアボリジニの哲学に大いなるガイドの智と共通するものを感じ、この名称をよく使っています。ガイドはこの世界を教える時、あらゆるものを「情報とエネルギーと意識」として扱っています。

実際はガイドが言葉で説明することはありませんので、その教え方は一瞬で全ての情報を記憶に焼き付けるような“テレパシー”です。

受け取った私自身がそれを上手く言葉に落とし込むのに時間がかかるだけです。アボリジニのドリーミングでは、あらゆる生命や物や場所には「記憶と力と精霊の心」が宿っていると見るようで、ガイドの伝える「情報とエネルギーと意識」に共通する概念であると私は思っています。

SDには何が描かれているのか?

 SDにはその人の特性やガイドからのメッセージが描かれます。特性とは『祝福された本来の自然なあなたの在り方』のことです。特性を生きれば、人生でイキイキと活躍することができます。特性は才能とは違います。才能とは例えば「足が速い」というものですが、そこには常に「足が速いから何なのか?」という疑問が出てきます。

 特性は『答え』です。例えば「愛」とか「平和」のように、『そう在ることが自然であり楽である』という状態のことです。人は特性という在り方だと、自動的に「愛の拡大」が始まります。それは、一人ひとり、絵を描くことか詩を書くことか歌かダンスか計算か編集か、さまざまです。仕事で特性を生きていると「愛の拡大」によって自然な流れで成功して豊かになっていきます。特性とはガイドとのつながりが強い生き方なのです。

 人は癒しを進めていくにつれて特性を思い出していきます。特性というのは一言で表現できるものではありません。一生変わることはありませんが、絵はその時のあなたに合わせて伝えられますので違いは出てきます。0歳の子では大人のような深い情報が描かれますが、3歳くらいになるととたんにシンプルな絵となり、12歳ぐらいで何かが決定されたような絵として描かれ、24歳以降からは物語の一場面のような絵になってくるようです。

SDは何枚か描くと変わるのか?

 ガイドによると「人生において特性は変わらないが、その時によってエネルギーや情報は変わる」ようです。それは絵を見たことでその人の意識が変わったからのようで、特性の現れ方や活かし方が変わったことから来るようです。

あることに気づくと、それに気づかなかった前と後では人の意識は変わるものです。

毎日見る、日々思い出すことにより、自らの在り方が整えられて「愛と命と光」が蘇ります。そうなると、「愛の拡大」が始まって次のステージがやって来ます。

こうして、次のSDが描かれた時には絵が変わるようです。私には、絵は三枚で一つの“物語”として表現されているように見えます。

※例外として、一年経っても同じ絵が描かれた人がいますが、その人にはそれが適切だったのだと思います。

「愛と命と光」のプレゼント

 ガイドはSDをあなたの平和と健康と幸せのために送ります。SDを読み解くのも楽しいことですが、SDを通してガイドが送り続ける「愛と命と光」をただ受け取っていくのも素敵なことです。難しく考える前に大いなる導きを信頼することが大切です。SDは神聖なあなたの記録ですから、絵を思い出そうとするということは、同時に神聖な「自己」を思い出そうとすることでもあります。

 SDで何が得られるか、どんな変化があるかは人それぞれですが、あなたの癒しの道において必要なものが与えられていくことを信頼して下さい。それはSDを信頼するというよりも、ガイドを信頼することですし、神聖な「自己」を信頼することです。

 どのような人であってももとから常にガイドとつながっているのですが、そこにどう気づくか、どう感じ取るのか、というのには視点の変化が必要かもしれません。

 怯えた視点で世界を捉えれば、あなたは恐ろしい世界を体験するでしょう。そして、被害者としての自分の正しさを何度も主張して防衛しなければならないと考えてしまうかもしれません。

 「愛」の視点で世界を捉えれば、あなたは平和な心を思い出すでしょう。その平和の中であなたは、本当にやりたいことや自然な在り方に気づいて「愛の拡大」を始めてしまうでしょう。

 いつか、あなたはSDとのつながりによって視点が変化したことに気づくかもしれません。否定的に捉えてしまう考え方から肯定的な捉え方へ、そして否定でも肯定でもないありのままの捉え方に変わってくるでしょう。やがて本来の「自己」という自由な在り方を思い出していきます。

真っ黒い絵は描かれるか?

 ガイドは「愛と命と光」を描くので、真っ黒い(何か悪いことが起きるような)不吉な絵を描くことは決してありません。もし、絵のモチーフに恐ろしい何かを見ているのなら、それはあなたの影(Shadow)という「抑圧された思い」です。人は、ガイドの顔にも自らの影を貼り付けて、恐れを抱き批難します。そうやって自らの中にある“真っ黒”を他人に貼り付けて、「自分にはない、自分ではない」と言い訳します。ここでハッキリと言っておきますが、“真っ黒”という概念を持つことができるのは思考の中だけです。

 目を閉じても“真っ黒”を体験することはできません。「目を閉じたら真っ黒だ」という人は自分の観察力を疑った方がいいでしょう。アリストテレスの「自然は真空を嫌う」と同じで、意識は“真っ黒”を嫌います。目を閉じても白いモヤや光の粒々など見えているでしょうし、時間が経てば夢の中に入ります。例え目が見えなくなっても“真っ黒”というのを体験することはできないでしょう。死んだら「自分の肉体を上から見ている」ようですから、死んでも“真っ黒”を体験できないようです。

 ガイドはあなたの影を描くことは決してありません、それはガイドには影を見ることは出来ないからです。なぜなら、あなたは影ではなく、「愛と命と光」だからです。絵を影として恐れるなら、それは紛れもない混乱したあなたの視点です。混乱していないのであれば、あなたも自らの「愛と命と光」を“みる”でしょう。

「ガイドの授業」 〜 “もとのかみにもどす”

 「ガイドの授業」の共通するテーマは本来の「自己」についてですが、内容は「愛と命と光」の実相のことや、エゴという混乱のことや、この世界を構成しているドリーミングのことや、意識の使い方などさまざまです。

「ガイドの授業」の一部はこんな内容です↓

 この世界は自分の体も含めて微細な「エネルギー」できています。「エネルギー」は同時に「情報」であり「意識」によって支えられています。「情報とエネルギーと意識」は一つでこのことを「ドリーミング」といいます。全てのドリーミングはもともと同じであって、純粋なドリーミングの「情報」は「愛」、「エネルギー」は「命」、「意識」は「光」です。純粋なドリーミングは、直接見たり聞いたり触ったり感じたりすることができないため、「無い」ものとして扱われてしまいがちですが、「無い」のではなく「完全に一体なので無いように思える」のです。あえて表現するなら「有り過ぎて無いようにみえる」という感じでしょう。

 釈迦のいう「無」というのは、見たり聞いたり感じたりする“知覚される”全ては、本当は意識の中で見られる“夢”であるため「無い」のであって、「何も無いから悲しいよね」という意味ではありません。何もなくて悲しいと感じるのはその人の観念であって、悪いものではありませんが、“実相”ではありません。

 実相とは「真の現実」のような意味ですが、それをこの肉体で感じ取ることは不可能です。同時にこの脳で理解することも不可能です。肉体は肉体で感じ取れる範囲でしか感じ取れません。脳は脳で感じ取れる範囲でしか理解できません。実相は感じ取れる範囲を超えています。しかし、私たちは実相をすでに知っています。この世界では忘れているけれど、霊としては覚えています。なぜなら、本来の「自己」は肉体や脳を超えた実相に在るからです。

実相を正確に細かく表現しようとすると、複雑で難しくなるように思えますが、実はとってもとってもシンプルです。シンプルすぎて説明できないのです。「愛と命と光」しか無いのです。

 「愛と命と光」は真っ白い紙のようなもので、私たちはここに意識というペンを使って様々なかたちを描きます。これがドリーミングです。こうして描かれたドリーミングはこの世界のあらゆるものとして体験(知覚)されることになります。知覚されたときに人は「有る」と思い、知覚されないなら「無い」と思います。そのため、真っ白な紙そのものである「愛と命と光」は“知覚”されないのです。物理学でも数学でも人の知能が関わっているために同じです。「愛と命と光」は人知を超えているからです。

 ガイドは、さまざまなドリーミングを「愛と命と光」に戻す働きのことです。私たちが描いた恐ろしい落書きをガイドが消してもとの真っ白い紙に戻すので、私たちは「愛と命と光」を思い出すことができるのです。

「もとの紙に戻す」というのは「もとの神に戻す」ということです。戻ったのは私たちの意識であって、もとから何も離れてはいないのです…。

水と意識

水は私たちの意識との相性がとても良く、ドリーミングを伝達、記録、保持するのに最適な媒体です。また、水はガイドとのつながりをスムーズで強くしてくれます。

SDのはじまり

   私が小さい頃、他人が見ている景色と自分が見ている景色の違いについて疑問を持ちました。母は色の名前を教えてくれましたが、それは何を意味しているのかは良く分かりませんでした。なぜなら輪郭の中だけではなく空間にも色は見えたからです。それだけではなく、輪郭がはっきりしない存在もいます。そして見えてしまうものには注意が向けられてしまいます。なので、私はよく「落ち着きがない」や「人の話しを聞かない」と叱られました。

特に輪郭のはっきりしない存在については話すと怖がられるため、このことについては決して話題にしてはいけないことなのだと思いました。このような奇妙な子は多くの人に受け入れてもらえませんでしたので学校でも孤立するようになりました。なので私は、社会に適応するためにはこの秘密を隠す必要があると考えました。

 大学は美術系に進んで色の認知について学ぼうとしましたが、デッサンの試験はとても難しいものでした。「見たままを描け」と言われましたが、焦点によって見え方は変わるので困難でした。本当に正直に見えたものを描くと「心象表現ではない」と注意されました。そこで私は輪郭だけを見る訓練をしました。

  なんとか大学に入ってからはコンピュータを使った色彩表現について学び、そのおかげで卒業後はデザイン講師の職に就くことができました。講師を辞めてからもしばらくデザインの仕事をしていましたが、どうしても広告デザインは私の仕事ではないと感じ、それまでの色彩心理の研究を活かしてカラーセラピーを開発しました。このカラーセラピーの開発にも秘密はあったのですが、そのことを隠したまま堅く真面目な心理療法の一つとして教えていました。

講師の仕事もデザインの仕事も人と会うことは多く、秘密の知覚についてはいつも悩まされイライラも多く感じていました。そんなある日、とうとう秘密の知覚について嘘をつき続けるのに限界が来ました。そこで、怪しい人だと思われて仕事の信頼も失うかもしれないけれど本当のことを打ち明けると決めたのです。しかし多くの人から受け入れてもらえ、逆に興味を持ってくれる人たちとも出会えました。

 輪郭のない存在の中には何か嫌な感じがするのもいるようですが、幼い頃から側にいたのはとても美しい光の存在でした。光の存在は自己紹介などしませんが、私はガイドと呼んでいます。ガイドは学校の勉強を教えてくれたりはしませんが、世界と意識についてのとても重要なことを教えてくれます。以前は役に立たないガイドの話しなど聞く耳を持たなかったのですが、今ごろになってその重要さを知って受け取り始めました。

  ガイドからまず教えられたことはドリーミングへのアクセスや情報の受け取り方でした。それから、この世界を超えた“場”のこと、そして本来の自己への目覚めについて教えられました。またガイドからは、これらのことを思い出し始めた人たちが世界中に多くいるとも教えられました。個人的なことから生命全体へ意識を向けることで、ますます思い出されるようです。

 物事の捉え方というのは焦点によって範囲が限定されることがあり、本来はそのレベルが自然に上がるように導かれるようですが、思い込みの影響が強いと停滞するようです。ここに思い出し始めた人たちの効果があるということです。学びは次の段階に来たようで、それがドリーミングへのアクセスでした。中心的なドリーミングというのは上書きされていない純粋なドリーミングとのつながりが強く、これにアクセスすることで自動的にマインドが浄化されて学びが深まるようです。

  自分の中心的なドリーミングにアクセスしてもいいのですが、他者の中心的なドリーミングにアクセスしてもよく、他者へのアクセスはそこにある情報が私にもコピーされるようです。様々な人のドリーミングにアクセスを続けていく内に多くの情報が統合されていきました。これによりガイドの教えがより深く学べただけではなく、宇宙全体に広がるドリーミングのつながりも強く感じられるようになっていきました。

  「ガイドを通して愛と命と光を描き、相手と共に目覚めの道を歩む」私はガイドに従ってその力と声を受け取り、それを共有します。こうしてSDははじまりました。

 よく「オーラが見えるのですか?」や「それは切り替えられるのですか?」と聞かれることがあります。私が見ている色の光は、多くの文献に記されているオーラというのにとても似ていますので、たぶんオーラを見ているのだと思います。チャクラと呼ばれているエネルギーレベルの変換器のようなものも確かに見えます。しかし、これらを切り替えて「全く見えない」という感じにはできません。世界はどう見ても光で出来ていて、物質の中にもその輪郭線を超えた空間にも流れる色光の帯や線があります。物質が固いかどうかは私の体との関係であって、見ているだけなら物質か空間かという違いは明確ではありません。

“視覚”というのは大きなスクリーンに映し出された光の絵です。そして、焦点を変えると細かな色光の別の層が見えてきます。焦点を変えてどんどん深い層を見て行くと、もう現実なのか夢かが分からなくなります。身体感覚が薄れていき、やがて私と光との区別はつかなります。この状態は寝るにはちょうどいいのですが、急に動くことはできないのが厄介です。

目を閉じてもスクリーンは見えていてドリーミング(オーラ)は映っていますが、肉眼で見るような物質的な世界は見えません。目の前の大きなスクリーンの周りには小さなスクリーンが複数あり、一つ一つの映像は違いますし、流れている時間が違うものもあります。スクリーンと“私”との距離は感じられませんが、スクリーンとスクリーンの間には暗い境界があります。

このスクリーンのことを私は「インナー・ビジョン」と呼んでいます。スピリチュアル・ドリーミングを描いている時に見える映像は「インナー・ビジョン」とは違う感じで、色味も雰囲気も違います。ガイドによって送られてくるからかもしれません。こちらは「スピリチュアル・ビジョン」と呼んでいます。夜の夢の中でのガイドの授業も、映像が「スピリチュアル・ビジョン」に切り替わるのでガイドの授業だと分かります。

ちなみに「スピリチュアル・ビジョン」を見ている時は、ガイドとのつながりが深くて霊的に明晰なマインドとなっているため、幻想や物語にハマることはありません。ここに「インナー・ビジョン」を見ているか「スピリチュアル・ビジョン」を見ているかの明確な違いがあります。「スピリチュアル・ビジョン」であるなら「神の名をみだりに唱えてはならない」の真の意味が分かります。